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写真バカなNaoパパが気のみ気のままに綴るブログ 
65年前の今日。
午前8時15分、米軍爆撃機B-29エノラ・ゲイが広島上空から落とした1発の原子爆弾。
物凄い閃光を放った後、広島の町を焼き尽くしました。この1発の爆弾によって奪われた尊い命は14万以上といわれています。

事の発端は日本が中国、南部仏印(フランス領、インド、ビルマ)、インドネシア等へ南国資源を求めて侵略したことに始まります。
当時ヨーロッパではナチスドイツがゲルマン民族の優位性をを訴えポーランドを侵攻、第二次世界大戦が勃発していました。
日本が中国を侵略したこと、国際的発言力を強めようとしてドイツ、イタリアと三国同盟を締結したことが国際社会から孤立してゆく原因になりました。
次第に日米交渉も暗礁に乗り上げましたが、当時の内閣、近衛内閣はそれでも関係改善に努力をしていました。
しかし、軍部から戦争決断を迫られ総辞職、代わって時の陸軍相、東條英機内閣が発足しました。
そして1941年12月1日の御前会議で12月8日(日本時間)の開戦を決定。
12月8日未明、連合艦隊司令長官、山本五十六率いる連合艦隊は南雲忠一中将の指揮の下、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」を基幹とする日本海軍空母機動部隊によりハワイを奇襲攻撃、太平洋戦争が開戦しました。「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号文はあまりにも有名ですね。
御前会議で宣戦布告は攻撃前の30分前に行うように決めていたにもかかわらず、在米日本大使のタイピングの手間取りなどで実際にアメリカ政府に渡ったのは真珠湾攻撃開始の1時間後でした。そのため、アメリカにとって「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」となったわけです。
多大なダメージを受けたアメリカ海軍は「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に日本に対する報復の意思を固めました。
この後、約半年間は日本の快進撃は続きます。今度はアメリカ機動部隊に更なるダメージを与えるために、ミッドウェー島の攻略を目論見ます。これは太平洋のど真ん中に位置するミッドウェー島にアメリカ機動部隊が集結し、日本本土への攻撃が懸念されてたため先に叩いてしまおうという作戦でした。
実際、1942年4月18日、空母ホーネットから飛び立ったドーリットル中佐率いる16機のB-25が東京を空襲した事実(映画パールハーバーでも出てきましたね)もあり、日本にとって今後の戦局を占う重要な作戦でした。
しかし、日本の行動はアメリカ軍の暗号解読によってすべてが筒抜け、見事に返り討ちに遭い赤城、加賀、飛龍、蒼龍の主力空母4隻を失うことになります。
この海戦以降、当時世界最強と恐れられていた日本海軍機動部隊は目に見えてその力を失っていきます。
そしてガダルカナル、ニューギニア、マキン・タラワなどの南太平洋戦線にも徐々に影を落とし始めます。
第一次ソロモン海戦、第二次ソロモン海戦で日本が勝利するものの、第三次ソロモン海戦では大敗を喫し、ガダルカナル島への物資輸送船団がアメリカ海軍潜水艦の餌食になりました。飢えと弾薬不足に絶えながらも日本兵たちは苦しい戦いを強いられることになるのです。
このころになると、アメリカ軍は日本側の交信内容を完全に解読する技術を確立、ことごとく作戦の裏を嗅がれてしまいます。1943年4月18日、連合艦隊司令長官、山本五十六大将がブーゲンビル島上空で待ち受けていた米軍戦闘機の攻撃を受け戦死します。これも暗号解読されていたことによるもので、アメリカ軍は暗号解読した事実を終戦まで日本に知られないようにしていました。

この後、アリューシャン列島に位置するアッツとキスカ島にアメリカ軍が上陸、日本軍は壊滅ました。このとき初めて大本営で「玉砕」という言葉が用いられました。
こうして第二次世界大戦太平洋戦線の戦局は大きく変わり、日本の現存戦力では工業大国アメリカの戦力にまともに戦っていては到底勝ち目がなくなってきました。

それでも大本営は戦局の打開を夢見て無謀な作戦を打ち出します。
インパール作戦です。インドから中国への補給ルート「援蒋ルート」を阻む作戦です。3個師団に別れビルマからアラカン山脈を越えイギリス軍の拠点インパールを攻めるという作戦。物資や食料、武器弾薬の補給もないままに約3万人もの日本兵が飢えやマラリア、赤痢などの病気と戦いながらも無残に倒れていきました。白骨街道とよばれるその道にはたくさんの日本兵の遺体があったそうです。
結局この作戦も失敗に終わり、日本はますます窮地におちいることになります。

戦局打開のためには手段を選ばなくなった日本、こうして考え出された戦法が神風(しんぷう)特別攻撃隊です。
ゼロ戦機に250キロ爆弾を装着したまま敵機に体当たりする作戦。フィリピンのレイテ沖海戦から開始された作戦で、フィルピンのマバラカット飛行場から飛び立った関行男大尉率いる敷島隊が初陣を飾ります。
アメリカ護衛空母セントローに関大尉の機が体当たり、沈没させます。
この戦法は連合軍から見れば狂気の沙汰、「ゼロアタック」といって恐れられました。
こうして南太平洋の海で沢山の尊い若い命が散ってゆきましたが、戦局を変えるまでにはいたりませんでした。

その後、アメリカ軍の硫黄島上陸、沖縄上陸と攻め込まれますが、日本はまだ降伏しません。そして。。。

65年前の今日は日本、いや世界にとってもっとも悔やまれる悲しい出来事があった日です。年々、戦争経験者の方が減少してゆく中、戦争を知らない世代の我々がもう一度先の戦争を勉強しなおし、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしたいものです。
英霊たちもきっとそう願っているに違いありません。

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Naoパパ
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自営業
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写真、オートバイ、格闘技
自己紹介:
自営業の傍ら、気のみ気の向くまま趣味である写真を愉しんでいます。びわ湖周辺をウロチョロしています。チョロぽんのHNで価格ドットCOMにも顔をだしてます(笑)
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